伊奈城趾(いなじょうし)
〈時代〉戦国時代 〈地域〉東三河
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城跡の全景 |
今も残る土塁 |
〈所在地〉豊川市伊奈町 (JR東海道本線西小坂井駅下車 西へ徒歩15分)
〈概要〉
1440年(永享12)頃,本多定忠(さだただ)が伊奈村を平定し,この地を拠点と定め築いたのが,
伊奈城である。以来,康俊(やすとし)が関東へ移るまでの8代,約150年間伊奈本多氏の
居城であった。
この城は徳川家の「三つ葉葵の紋」ゆかりの地でもある。1529年(享禄2), 岡崎城主・松平清康(まつだいらきよやす・徳川家康の祖父)が吉田城を攻めた時, 当時の伊奈城主・本多正忠は,清康軍に参戦し先陣をきって城を攻め落とした。 伊奈城に戻って戦勝の祝いをした際,城内花ヶ池にあった水葵の葉に酒の肴を
盛って清康に出した。すると清康は大いに気に入って,葵の紋を家紋とする本多氏の 協力で勝てたこともあり,これを吉として葵の紋をもらって松平家の紋とした。
こうして本多家から松平家の家紋となった「葵の紋」が,徳川家康の代に 「三つ葉葵の紋」になったと伝えられている。
現在も土塁の一部と本丸の郭跡が残っており,伊奈城趾公園として整備されている。
土塁は戦国中期の平城を今に伝える貴重なものである。
〈学習のポイント〉
吉田城,牛久保城等と合わせ,戦国時代のこの地方について考えてみよう。
〈見学のポイント〉
現在も残る高さ5メートルほどの土塁を見てみたい。また物見櫓が復元されている。
〈参考資料〉
「穂の国を訪ねて」「東三河めぐり」
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