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『日本の橋』裁断橋 関係部分あらすじ
 名古屋熱田の裁断橋は無くなったが、擬宝珠は今もそのまま美しい銘文と共に保存されている。銘文は短いが芸術的である。「かなしみのあまりに」と語る女性の声は、すぐれて文学的であり、「母の身には落涙ともなり」は永遠とも思われる感傷の響きをもつ。そして橋を往来する人々に「念仏申し給へや」と呼び掛ける親心は胸に迫る。古来男子はいくさに命を懸けることが悲しい強さであり、女子は夫や子の門出に忍び泣きをする、これが強さであり、美しさであった。戦国の世の一人の名もない女性が刻んだこの銘文は、いささかも巧もうとしなかったにもかかわらず、叡智と感傷に満ちている。



裁断橋擬宝珠の仮名書き文
 てんしやう十八ねん二月十八日に、をたはらへの御ぢんほりをきん助と申、十八になりたる子をたゝせてより、又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまはこのはしをかける成、はゝの身にはらくるいともなり、そくしんじやうぶつし給へ、いつかんせいしゆんと、後のよの又のちまで、此かきつけを見る人は、念仏申給へや、卅三年のくやう也。



漢文(書き下し文)
熱田宮裁断橋、右旦那趣意者
堀尾金助公は去る天正十八年六月十八日に
相州小田原陣中に於いて逝く。
去て其の法号は、逸岩世俊大禅定門なり。
慈母の哀情余りて此の橋を修造し、
以て卅三年忌に充つ。普く供養の儀に同じ。


文章が刻まれた擬宝珠(複製)

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作者 保田與重郎

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