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熱田神宮と楊貴妃

 熱田神宮と楊貴妃の伝承について

 唐の玄宗皇帝が日本を侵略しようとしたとき,日本の神々が協議した結果,熱田の大神が楊家に生まれて貴妃となることとなった。そして,玄宗に仕えてその心をたぶらかせ,日本侵攻を思いとどまらせた。しかし,玄宗は安禄山の乱で都を追われ,途中,楊貴妃は玄宗の部下に殺されてしまった。そのとき,楊貴妃はたちまち元の熱田の大神に戻り,船に乗って熱田神宮に帰還したという。
 熱田神宮の境内には,楊貴妃の石塔と言われるものがあった。それは境内の末社,清水社の近くにあったが,貞亨三年(1686)の造営のときに廃絶された。今日では,清水社の湧き水の中の石が,石塔の頭部であると言われている。

(参考文献 日下英之『熱田−歴史散歩』(1999)風媒社)

     

清水社(左)とその前にある立て札(右)

  湧き水の中の石が楊貴妃の石塔の頭部と言われている


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