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この教材の魅力

 『保元物語』『平治物語』という二つの軍記物語は、『平家物語』で活躍する人物たちの親や祖父母の世代が中心となっている。『平家物語』で描かれた平氏の興隆と滅亡の前時代を描いたものである。この時代は、王朝貴族社会末期に生じた対立や矛盾の解決法として武力が大きくかかわり、その担い手である武士の存在を語らざるを得ない時代であった。また、そのような時代や社会の中で生きた女性が描かれた場面も印象的である。全体は上巻に内乱の原因から開戦までを、中巻に合戦の展開を、下巻に事件の結末を語る構成になっている。

 日本史でも学習する源頼朝が父親の義朝と共に哀れな逃避行をしている場面では、生徒は新たな頼朝像を発見するかもしれない。不破の関周辺をインターネット上の地図・地形図等で見ると、義朝一行が追っ手に見つかることを恐れ、不破の関を避けて厳しい伊吹山のルートをとったことがよくわかる。『野ざらし紀行』の旅で松尾芭蕉は関ヶ原の常磐御前の塚を通り、「義朝の心に似たり秋の風」の句を詠んだ。この句は荒木田守武の「月見てや常磐の里にかかるらん義朝殿に似たる秋風」を踏まえている。
 また、青墓という地も見逃すことはできない。青墓は後白河法皇の今様の師である乙前という傀儡師(くぐつし)の出身地である。当時は多くの遊女がいた宿場であり、青墓には義朝なじみの遊女がいた。遊女や傀儡師といった遊行の民は、交通の要所に本拠を置き、全国各地を漂泊した。異なる土地の人間が出入りしても不自然ではない町であり、東国へ落ち延びる義朝一行が身を寄せるには都合のよい町と言えよう。

 『平治物語』は『保元物語』や『平家物語』と同じく琵琶法師によって語られ、その語りによって内容を少しずつ変えながら人々に伝わったとされている。また、義朝関連の逸話は知多に昔話として伝わっている。よく知られている「せめて木太刀の一本でもあれば」という義朝の言葉も、『平治物語』本文には見られない。義朝の無念の死に同情した人々が作り出した名台詞と言えよう。
 今回の教材である義朝の最期の場面に関して、『新日本古典文学大系』では金王丸の報告という形式を取っており、だまし討ちを実行する長田親子側からの思惑は描かれていない。この点を利用すると、描かれていない部分を補足し、自分だけの物語を作ることが可能である。増補改訂に着目し、語りを取り上げることによって、軍記物語の特徴の一端を体験的に理解できる教材であるといえる。また、創作された作品は生徒同士の相互批評の格好の素材と言える。



大御堂寺で体験できる「絵解」(有料)

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