洞雲院(とううんいん)  <時代>戦国時代  <地域>知多
洞雲院にのこる於大の遺髪墓

<所在地> 阿久比町坂部(名鉄河和線 坂部駅 下車徒歩5分)
<概要>
 1541年(天文10),東浦の緒川城・刈谷の刈谷城主の娘として育った於大(おだい)は,岡崎の松平氏に嫁ぐことになった。戦国の世,この結婚はもちろん政略結婚であったが,そこで於大は待望の長男竹千代(たけちよ)を産み,しばらくは平和な日々が続く。やがて,岡崎をとりまく状況が変わり,松平氏は17才の於大を離縁して刈谷城に返してしまい,於大は竹千代と離ればなれになってしまう。
 その後,於大は阿久比にあった坂部城主久松(ひさまつ)氏に嫁ぎ,そこで生涯を過ごすことになるが,竹千代が今川氏の人質となり苦労を重ねる中で,彼女は密かに衣食をおくったりして親子の絆を保っていたようである。やがて,竹千代は家康と改名,天下人として幕府を開くと,於大は生母として幕府に迎えられ,再嫁先の久松家も大切に扱われていく。於大は1602年(慶長7),京都の伏見城で息を引き取るが,彼女の遺髪は,久松家の菩提寺(ぼだいじ)である洞雲院(とううんいん)の遺髪墓に納められている。
<学習のポイント>
 江戸幕府の成立過程と,幕府創立者である徳川家康の生涯を学習する際の身近な具体例としてぜひ取り上げたい。  
<見学のポイント>
 阿久比町の洞雲院には,於大の方の遺髪墓の他,於大ゆかりの品々が現存する。また於大の出生地東浦町には緒川城址の碑も立ち,於大公園として整備されている。
<参考資料>
 「阿久比町誌」 「あぐいのあゆみ」 「お大の方物語」
<問い合わせ先>
 阿久比町教育委員会 0569−48−1111
 洞雲院

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