葛木渡船場(木曽川の東側堤防) | 出航準備 |
<概要>
海部郡では,江戸時代には佐屋街道(東海道の側道)の“佐屋の渡し”と並んで,立田でも木曽川(長良川も含む)の渡しが栄え,尾張西部の水上交通の要となっていた。
明治20年代の木曽川改修により,昔の葛木村の半分以上が木曽川の川底へと消え,水上交通路も変わった。荷物では,立田の蓮根等の農産物を,桑名や四日市に運ぶために,木曽川から船頭平閘門への往来が盛んに行われた。また,下客の輸送に,岐阜の大田(現在南濃町)から森下(現在海津町)の木曽川中堤を経て,愛知県の葛木(立田村)への航路が開かれた。その中で,葛木から中堤へ渡る部分を葛木渡船と呼んでいる。
葛木渡船は,昭和30年代に,現在のような県営になるまでは,葛木の集落の船頭さんたちで運行される民間経営であった。運行時間は,日の出から日の入りの間で,基本的には依頼により,運行した。片道の運行時間は約30分(手こぎ)。貨客については何でも運んだと言う。農産物では,南濃の方からのみかんや米を運び,多度神社や津島神社の祭の際には,大勢のお客さんで賑わったと言う。水郷地区である尾張西部を代表する大切な水上交通路として位置していた。
現在では,中堤と森下を結ぶ渡船が運行され,船頭さんは総計9名で,エンジンのついた船である。貨客については,荷物,自転車,人等,昔同様運んでくれる。現在は,航路が県道に指定されているため,料金は無料。事前に海津町役場に依頼をしておけば,葛木〜〔木曽川〕〜中堤〜〔長良川〕〜森下と渡ることもできる。
形は変わってきたものの,大昔から続いてきた,地域の水上交通を体験できることは,大変興味深い。
<学習のポイント>
木曽川改修後も栄え続けた水郷地帯である尾張西部の水上交通の代表“葛木渡船”について調べよう。
<参考資料>
「立田村史 通史編・資料編」
<問い合わせ先>
愛西市役所 立田庁舎 経済建設部建設課 (0567)28-7278