増田長盛(ましたながもり)屋敷跡 <時代>安土桃山時代 <地域>尾張
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増田長盛屋敷跡 |
屋敷跡の石碑 |
<所在地>
稲沢市増田南町八幡社内(名鉄本線大里駅下車15分)
<概要>
増田長盛は,豊臣秀吉に仕え,小牧・長久手の戦で軍功を挙げて後,五奉行の一人として民政,特に検地に手腕をふるった。文禄・慶長の役における兵器弾薬の輸送を勤めるなどの功績により,大和郡山20万石の領主となった。関ヶ原の戦では西軍に従いながら出陣せず,戦後,徳川家康に降伏したが高野山に追放され,ついで武蔵岩槻(むさしいわつき)に流されて,大阪冬の陣の際に家康の使者として大坂方との交渉を命ぜられたが応ぜず,1615年(元和元)に自刃した。
この増田長盛の出身地が,尾張国中島郡増田村=現在の稲沢市増田南町で,その屋敷地があったであろうということで石碑が建立されている。
<学習のポイント>
増田長盛に限らず,同じ五奉行の浅野長政,さらには五大老の前田利家も尾張地域の出身である。豊臣政権を支えた人物を三河地域も含め,県内出身者について調べてみるとよい。
<見学のポイント>
増田長盛屋敷跡には石碑があるだけである。ただ,近くには稲沢市内に,長束正家の屋敷跡,浅野長政の父長勝の屋敷跡,隣接するあま市に,福島正則の生誕地と菩提寺の菊泉院,蜂須賀小六ゆかりの蓮華寺などがあるので,回ってみるとよい。
<参考資料>
「稲沢市史」「稲沢の歴史発掘」
<問い合わせ先>
稲沢市教育委員会生涯学習課 0587-32-1111
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