大樹寺 (だいじゅじ) <時代>室町時代 <地域>西三河
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大樹寺三門 |
多宝塔 |
<所在地> 岡崎市鴨田町広5−1 (名鉄バス大樹寺下車徒歩5分)
<概要>
岡崎を代表する寺である大樹寺は,松平氏四代親忠(ちかただ)が1475年(文明7)勢誉愚底(せいよぐてい)上人を開山として建立した松平氏・徳川将軍の菩提寺である。その後七代清康が1535年(天文4)七堂伽藍(がらん)・多宝塔を建立した。多宝塔は一層は方形,二層は円形の格調高い二重塔である。また,大樹寺の中で最も古い建物で国の重要文化財に指定されている。
松平八代の墓は,二代将軍秀忠が1617年(元和3)に修復再建したものである。広忠の墓に隣接して1969年(昭和44)に家康の墓が建立されている。
鐘楼は,1641年(寛永18)に三代将軍家光が建立した。楼上の大鐘は九代将軍家重改鋳の名鐘である。「家康公木像」,「大方丈障壁画」(だいほうじょうしょうへきが:国重文)など貴重な文化財が多い。
家康は19歳の時,桶狭間の合戦により今川義元が倒れたので身の危険を感じ,大高城から大樹寺に逃れた。家康は先祖の墓の前で自害しようとしたが,住職登誉(とうよ)上人から「厭離穢土,欣求浄土」(えんりえど,ごんぐじょうど)戦国乱世を住みよい浄土にするのがお前の役目と教えられ,再生の決意を固めた。以後家康はこの八文字を終生座右の銘とした。
<学習のポイント>
応仁の乱以後の下剋上の世の中で,弱小の戦国大名であった松平氏の動きや徳川家康と大樹寺の関係を調べさせる。
<見学のポイント>
大樹寺三門(県指定文化財)は,三代将軍家光が建立し,正面の「大樹寺」の額は後奈良(ごなら)天皇の筆によるものである。境内から三門,総門(現在は大樹寺小学校南門)を通してその真ん中に岡崎城が見えるように伽藍配置の工夫がされている。
位牌堂には,松平八代と家康はじめ歴代将軍14代までの等身大の位牌などが安置されている。
<参考資料・ホームページ>
「岡崎市史」 「岡崎・史跡と文化財めぐり」
岡崎市ホームページ http://www.city.okazaki.aichi.jp/index.htm
<問い合わせ先>
岡崎市教育委員会社会教育課文化財班 0564-23-6177
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