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「一宮萬葉公園」

 一宮萬葉公園
詩人佐藤一英の提唱で作られた一宮萬葉公園

 
萬葉公園高松分園内の「母をさながら光浴びたり」の碑
萬葉公園高松分園内の「母をさながら光浴びたり」の碑

 一英と萬葉公園

 一宮市萩原町高松にある萬葉公園は、佐藤一英が『万葉集』巻十で歌われた萩の歌が、この地で詠まれたと提唱したことにちなんで造られた公園です。この地で本当に『万葉集』に詠まれたかどうかの論議は「高松論争」とも呼ばれますが、学問的な結論はひとまずおき、一英は詩人の独特な勘により、この萩原の地を「万葉に出てくる高松の土地だ」と感じ取ったことが重要だと思われます。例えば、

 わが衣摺れるにはあらず高松の野辺行きしかば萩の摺れるぞ  (十巻 二一〇一)

 この歌には、対象である萩と作者との距離が大変近く感じられます。「摺る」とは型染めですが、ここでは、「自分で摺った衣ではない」と言っています。昔は、木綿の服が通常です。「木綿を染めたとはちがうのだ、高松の野辺を行ったときに萩に摺れて染まったのだ」というのが歌の意味です。この公園のあたりは、昔から街道が通っていた所です。当然都から、尾張や三河の国府へと人が行き来したことになります。その折に、萩が袖や衣のどこかに当たって染まるということは十分にあるでしょうし、それにいつ気付くのかと言えば、恐らくは、都へ帰ってからでしょう。
 この歌を見ると、直(じか)に対象に触れて詠んだという感じが色濃くします。そのような万葉集にかかわる現場のにおいを一英も強く感じたという事実は大切にしていくべきことだと思われます。
 一英は、一宮市内の小・中学校、さらには県立木曽川高校などの校歌の作詞もしています。郷土の詩人として一英の足跡をたどることは、郷土の風土を共有する者だからこそできる豊かな鑑賞につながるはずです。
 一宮市萩原町萬葉公園高松分園内には「大和し美し」の一節、「母をさながら光浴びたり」の詩碑があるほか、北側に樫の木文化資料館が建てられ、一英が保存を呼び掛けた樫の木の民具が収蔵されています。


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作者 佐藤一英

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