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本文

奈良団賛(ならうちはのさん)

あらすじ

 扇と比較して、団扇(うちわ)の美点をたたえた文章である。扇が多芸多能で公的なものであるのに対し、団扇が一芸無能で私的なものであるがゆえに、使用者にくつろぎを与えることをユーモアあふれる表現で描き出している。

本文小学館『新編日本古典文学全集 近世俳句俳文集』による)

青によしならの帝の御時(おほんとき)、いかなる叡慮(えいりょ)にあづかりてか、此地の名産とはなれりけむ。

世はただ其道の芸くはしからば、多能はなくてもあらまし。かれよ、かしこくも風を生ずるの外は、たえて無能にして、一曲一かなでの間にもあはざれば、腰にたたまれて公界(くがい)にへつらふねぢけ心もなし。只木の端と思ひすてたる雲水の生涯ならむ。

さるは桐の箱の家をも求めず。ひさごが本(もと)の夕すずみ、昼ねの枕に宿直(とのゐ)して、人の心に秋風たてば、又来る夏を頼むとも見えず。物置の片隅に紙屑籠(かみくづかご)と相住(あひずみ)して、鼠のあしにけがさるれども、地紙(ぢがみ)をまくられて野ざらしとなる扇にはまさりなむ。

 我汝(なんぢ)に心をゆるす。汝我に馴(な)れて、はだか身の寝姿を、穴かしこ、人にかたる事なかれ。

  袴(はかま)着る日はやすまする団(うちは)かな


歎老辞(たんらうのじ)

あらすじ

 作者が官を辞して、前津(名古屋市中区上前津)の地に隠居した53歳の作。老境に入った自らの心境を、芭蕉をはじめとする多くの故人を引き合いに出しながら、ユーモアを交えてしみじみと語っている。

本文小学館『新編日本古典文学全集 近世俳句俳文集』による)

芭蕉翁は五十一にて世を去り給ひ、作文(さくもん)に名を得し難波の西鶴も、五十二にて一期を終り、「見過しにけり末二年」の辞世を残せり。我が虚弱多病なる、それらの年もかぞへこして、今年は五十三の秋も立ちぬ。為頼(ためより)の中納言の、若き人々の逃げかくれければ、「いづくにか身をばよせまし」とよみて歎かれけんも、やや思ひしる身とは成れりけり。

 さればうき世に立交らんとすれば、なきが多くも成りゆきて、松も昔の友にはあらず。たまたまー座につらなりて、若き人々にもいやがられじと、心かろく打ちふるまへども、耳うとくなれば咄(はなし)も間違ひ、たとへ聞ゆるささやきも、当時のはやり詞(ことば)をしらねばそれは何事何ゆゑぞと、根問(ねどひ)・葉問(はどひ)をむつかしがりて、枕相撲(まくらずまふ)も拳酒(けんざけ)も、さわぎは次へ遠ざかれば、奥の間に只一人、火燵蒲団(こたつぶとん)の嶋守となりて、「お迎ひがまゐりました」と、とはぬに告ぐる人にも「忝(かたじけな)し」と礼はいヘども、何の忝き事かあらむ。

六十の髭を墨にそめて、北国の軍(いくさ)にむかひ、五十の顔におしろいして、三ケの津の舞台にまじはるも、いづれか老を歎かずやある。歌も浄るりも落し咄も、昔は今のに増りし物をと、老人毎に覚えたるは、おのが心の愚也。物は次第に面白けれ共(ども)、今のは我が面白からぬにて、昔は我が面白かりし也。

しかれば、人にもうとまれず、我も心のたのしむべき身のおき所もやと思ひめぐらすに、わが身の老を忘れざれば、しばらくも心たのしまず。わが身の老を忘るれば、例の人にはいやがられて、あるはにげなき酒色のうへに、あやまちをも取出でん。されば老はわするべし。又老は忘るべからず。二つの境まことに得がたしや。今もし蓬莱(ほうらい)の店をさがさんに、「不老の薬はうり切れたり。不死の薬ばかり有り」といはば、たとへ一銭に十袋うるとも、不を離れて何かせん。不死はなく共不老あらば、十日なりとも足んぬべし。神仙不死何事をかなす、只秋風に向つて感慨多からむ」と、薊子訓(けいしきん)をそしりしもさる事ぞかし。

ねがはくは、人はよきほどのしまひあらばや。兼好がいひし四十足らずの物ずきは、なべてのうへには早過ぎたり。かの稀(まれ)也といひし七十迄はいかがあるべき。ここにいささかわが物ずきをいはば、あたり隣の耳にやかからん。とても願の届くまじきには、不用の長談義いはぬはいふに増らんをと、此論ここに筆を拭(のご)ひぬ。


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作者 横井也有

愛知県とのかかわり

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文学散歩―也有を訪ねて―