津島上街道(つしまかみかいどう)  <時代>江戸時代  <地域>尾張
津島上街道の起点の石道標 津島上街道の町並み

<関係地>津島市(名鉄津島線沿線)

<概要>
  津島,勝幡(しょばた)(愛西市),木田・甚目寺(あま市),新川(清須市),名古屋を結ぶ街道(3里15町,約13.5km)を津島上街道という。もともと上街道は鎌倉街道の甚目寺の萱津宿(かやづじゅく)という宿場から津島に行く道として発達した。安土桃山時代には,津島神社鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)へ向かう参拝者の参道としてにぎわった。江戸時代は美濃街道から分かれ,津島に向かう道として津島神社を参った人たち,巡見使(米の出来ぐあいや生活を見るために派遣された人),商人たちで街道はにぎわった。上街道は,尾張藩(名古屋城下)と高須藩(岐阜県海津市高須城下)を結ぶ高須街道の一部でもあった。
  街道の始まりは津島の橋詰三叉路(はしづめさんさろ)で,現在は石道標が残っている。橋詰三叉路は津島神社の東側にあたり,江戸時代には神社と三叉路の間に流れていた天王川に,長さ100m以上の天王橋という大きな橋がかかっていた。
  街道の津島と勝幡の間はかつての天王川堤防に沿って通っている。橋詰三叉路から北東へ行くと,街道の脇に円空の千体仏や上切の井戸が残っている。勝幡から甚目寺にかけては,現在,名鉄津島線がすぐ脇を通っている。街道の近くには安土桃山時代から江戸時代に活躍した武将と縁のある史跡が多くある。津島市内には加藤清正をまつる,清正公社(せいしょうこうしゃ),愛西市には織田信長が生まれたという説が残る勝幡城跡,あま市には,蜂須賀小六正勝の菩提寺(ぼだいじ)である蓮華寺や尾張四観音の一つである鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)がある。また,至る所に昔ながらの町並みを残している。

<学習のポイント>
  安土桃山時代から江戸時代にかけて栄えた津島と名古屋を結んだ街道を歩き,当時の津島の繁栄や津島にかかわりのある武将について調べてみよう。

<見学のポイント>
  津島神社を起点に橋詰三叉路や街道近くの史跡を巡りながら歩いてみよう。
  上街道や津島に関する資料を津島市観光交流センター(まつりの館 津島屋)へ見に行ってみよう。

<問い合わせ先・ホームページ>
  津島市役所 0567-24-1111
  http://www.city.tsushima.lg.jp/index.php?oid=875&dtype=1000&pid=144

  津島市観光交流センター(まつりの館 津島屋) 0567-25-2701
  http://www.npo-tsushima.org/

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