田原城跡 (たはらじょうせき) <時代>室町時代  <地域>東三河 
復元された田原城桜門 田原市博物館

<所在地> 田原市田原町巴江(はこう) (豊鉄渥美線三河田原駅下車徒歩10分)

<概要>
 田原城は1480年(文明12)頃に戸田宗光(とだむねみつ)により築かれた。城と言っても当時の城は近世城郭のような水堀(みずぼり)や石垣づくりのものでなく,空堀(からぼり)・土塁(どるい)でつくられた館(やかた)であった。城は今宮城(いまみやじょう)とか巴江城(はこうじょう)と呼ばれ,戸田氏はここを拠点に渥美半島を治めた。1547年(天文16),松平竹千代(まつだいらたけちよ)(のちの徳川家康)が人質として今川義元(いまがわよしもと)の下へ送られる途中,戸田康光(とだやすみつ)がこれを奪って織田方に渡したため,今川義元により攻め落とされ田原の戸田氏は滅亡する。1560年(永禄3)桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)今川義元が敗れたのち,1565年家康の支配下に入り,1590年(天正 18)からは吉田城主(現在の豊橋)池田照正(輝政)(いけだてるまさ)が支配し,現在の城の基礎が作られた。その後一時期,戸田家の血筋である戸田尊次(とだたかつぐ)が入城するが,1664年(寛文4)からは幕末まで三宅氏が代々支配した。 

<学習のポイント>
 田原城は戦国時代,様々な勢力の支配下に入った。それぞれの勢力にとって田原城支配はどのような意味をもつのか考えてみよう。 

<見学のポイント>
 現在城跡は石垣,堀,土塁の一部が残され,桜門などが復元されている。また,二の丸跡には田原市博物館があり渡辺崋山に関する展示等を見学できる。
<参考資料>
 「田原町史」 「図説東三河の歴史」 「東三河の歴史」 「愛知県の歴史散歩」

<問い合わせ先・ホームページ>
 田原市教育委員会文化財課 0531-23-3635 
 田原市博物館 0531-22-1720 http://www.taharamuseum.or.jp

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