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(小学館『新編日本古典文学全集』による)
尾州の神目寺(じもくじ)の辺(ほとり)に、十二、三ばかりなる女の童、菜摘みけるが、平み、伏しけるを、田かへす者見付けて、怪しみて近づき寄りて見れば、四、五尺ばかりなる蛇、そばに寄りて、まとはらんとす。あさましく覚えて、打ち放たんとて、鍬を取りて、殺さんとするほどに、この蛇、女の童の頸(くび)のほどに当たりて、にはかにしじけて、はひ隠れぬ。
この男、立ち返りて、近く寄りて見れば、寝入りたるやうにて、ほけほけと見ゆるを、「いかに、いかに」と問へば、心地少し出できぬ。「何か覚えつる」と問へば、「ここに、美しげなる若き殿の上臈(じやうらふ)げなるが、『そこに伏せ、そこに伏せ』と仰せられつれば、『何とも仰せに随(したが)はん』とて、伏しつるほどに、何事やらむ、にはかに驚きて、恐ろしげなる気色にて、逃げ返り給ひつる」と云ふ時、「守(まぼ)りばしや、持ちたる」と云ふに、「さる事なし」と答ふ。着物の中まで見れども、守りと思しき物なし。あまりに不思議に覚えて見るほどに、尊勝陀羅尼(そんしようだらに)書きたる紙を、引き裂きて、元結(もとゆひ)にしたるを見出だして、この陀羅尼の徳とぞ知りけり。
守りは人の持つべき物なり。自ら知らざる、なほ益あり。崇(あが)めて持たむ徳、疑ふべからず。
この事、文永年中のころなりけり。(巻九)
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編者 無住(むじゅう)
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