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 昔一疋の裕福な驢馬が住んで居りました。子供がありませんでしたから、至つて寂しく暮して居りましたが、だんゝゝ年を取るに連れて、後継がほしくなり、方々を捜したあげく、狐の子を貰ふことにしました。親戚の羊が反対しました。けれど生れてすぐに引取つて育てれば、きつと後にはよく孝行してくれるにちがひないと思つたのであります。
 ところが、だんゝゝ生長するに従つて、羊の心配したごとく、狐の養子は、義理の親を甚だ粗末に致しました。
『お父さん』と、ある日狐は言ひました。
『僕はもうこんな田舎に住むことは厭になつてしまつた。都へ行つて暮したいと思ふから二三年暇を下さい』
『何をいふ』と、驢馬は申しました。『今頃お前を都へ出して寂しい思をするくらゐならお前を貰ひはしなかつたんだ。都へ行つたとて決してよいことはない。それよりも田舎にとゞまつて、何不自由なく暮した方がよいではないか』
 けれども一たび都に憧がれはじめた狐は、どうしても断念することが出来ませんでした。それかといつて養父はいつかな(※注)きゝ入れてくれません。そこで彼はたうとう一計を案じました……。
 ある朝、狐の着て居た衣服がずたゝゝに引き裂かれ、その上べつたり血がついて、ある山かげに発見されました。山の傍には大きな湖がありました。
 前夜、驢馬の家から大金を持ち出して都へ行かうとした養子の狐が、強盗のために殺されて、死骸は湖の底に沈められたのだとわかりました。驢馬は泣くゝゝその衣服を持ち帰つて、懇ろに供養しました。
『あんなにまでして都へ行きたがつたのを留めたのはわしが悪かつた。どうか堪忍してくれ』
 かう言つて、正直な驢馬は後悔しました。
 ところが、事実はさうでなかつたのです。狡猾な狐は二度と養家へ帰らぬつもりで、鶏を殺してその血を自分の衣服に塗り、自分が強盗に殺されたやうに見せかけたのでした。
 さて、狐は都へ出ましたが、間もなく持つて来た金をすつかり費ひ果して、至つてみじめな境遇に陥り、故郷へ帰りました。
 一方老いたる驢馬はわが子を失つた悲歎のあまり、両眼を泣きつぶして盲目となりました。盲目となつても亡き子の回向(えこう)を怠りませんでしたが、ある夜その回向の最中に、
『お父さん、お父さん』
 と戸を叩きながら呼ぶものがありました。驢馬がその大きな耳をそばだてゝ聞くと、どうやら、それは聞き覚えのある声です。
『お父さん。僕です。どうか許して下さい。まことは僕は殺されたのでありません。今はすつかり後悔しました。これからは心を改めて孝行しますから、どうかもとゞほりお傍に置いて下さい』
 すると驢馬は驚いて言ひました。
『何を言ひなさる。私の養子はたしかに死にました。死んだからこそ、今も回向して居るのです。お前さんは亡き子の声色をつかつてわしをだましに来なすつたゞらう。早く帰つて下さい』
『お父さん』と狐は声を強めて言ひました。
『どうか戸をあけて下さい。戸をあけて僕の顔を見て下さい。さうすればすぐわかります』
『はゝゝゝ』と老いたる驢馬は笑ひました。
『わしの目の見えぬのにつけこんで、そんなことをいひなさるのか。あゝ、恐ろしい。一刻も早く帰つて下さい』
 たうとう狐は悄然として再び引き返さねばなりませんでした。

※注…いっかな。いっこうに。

※原文は、大日本雄弁会講談社 1929年2月刊 「少年倶楽部」に掲載。本文は、仮名遣いや漢字の表記を一部改めたほか、現在の社会通念上、不適切な表現を省略した。

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作者 小酒井不木

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