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 作者 松尾芭蕉(まつおばしょう)

 嘉永21年(1644)〜元禄11年(1694)。伊賀上野の下級武士の家に生まれた。本名を宗房、別号を桃青という。19歳ごろから藤堂良貞(俳号蝉吟)に仕え、貞門俳諧に打ち込んだ。良忠の死後も俳諧の修行に努め、29歳で発句合(ほっくあわせ)「貝おほひ」を選んだ。
 やがて江戸に上り、談林俳諧の俳人たちと交流をもつ。芭蕉が江戸で傾倒した談林俳諧は、大阪の西山宗因を中心とした俳諧の一派で、自由で闊達な作風が京都や江戸でもてはやされた。江戸に上った芭蕉は、初め談林派の宗匠として名声を得たが、既に談林俳諧はその奇抜さ卑俗さゆえに行き詰まりを見せ始めていた。
 談林俳諧に限界を感じた37歳の時、芭蕉は深川の芭蕉庵に移り、俳諧を新しい芸術として作り上げる努力を続けた。41歳で「野ざらし紀行」の旅に出て、ここで蕉風俳諧のきっかけをつかんだという。その後「鹿島紀行」「笈の小文」「更級紀行」と旅を続け、46歳の時「奥の細道」の旅に出る。こうした中で、芭蕉独自の俳諧が形作られていった。
 以後、「幻住庵記」「嵯峨日記」を書き、俳諧七部集の第四、第五である「ひさご」「猿蓑」を著した。その中で「不易流行」「さび」「しをり」といった理念に基づく作風を展開していく。新たな表現を更に追求し、51歳で再び西国旅行に出たが、途中病に倒れ、大阪で没した。俳諧七部集第六の「炭俵」には晩年芭蕉が求めた「軽み」の境地が示されている。


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作者 松尾芭蕉

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